2014年5月19日月曜日

Noah:ノア 約束の舟




ハッピーエンドは無数の死体の上で



旧聖書の創世記になるノアの箱舟をダレン・アロノフスキーらしく解釈
聖書のスペクタクルさは肯定しつつ、その人物たちの姿を冷静に突き放した視点で描く

人間が木々に戦うシーンや大洪水のシーンなど、
聖書の壮大なスペクタクルシーンは、まるで「ロード・オブ・ザ・リング」のように、
しっかり描かれていて途中までSFファンタジーを見ているかのうよう

だが次第にダレン・アロノフスキーの真骨頂の人間の内面描写になるにつれて、
ダレン・アロノフスキーの宗教に対する冷静な視点が随所に差し込まれていく

聖書では予言者は神の意図を悟り、一変の曇り無く神のお告げをこなしていくのだが、
この作品では予言者であるノアはとても人間臭くて、悩み・狂い・酒に溺れてる
でも冷静に考えれば「そらそーよ」って話な訳で、いくら神のお告げとは言え、
自分以外の全ての人の命を見捨てろというお告げを普通に実行出来る方がおかしい

そんな神のお告げをこなすためにノアはどんどん狂っていく
「全ては神のお告げのため」として、息子の最愛の人を見捨てたり、自分の孫を殺そうとしたり、
でもそれって、普通の人間が普通にお告げをこなすとこうなるはずなのだと思う
苦悩し葛藤し狂っていく姿を見て、一人の男に全人類の命を託した神の無責任さすら感じてくる

そして、預言者であるべき姿を目指し続けるノアの狂気をさらに際立たせる家族たちの言葉
ただし、その投げかけられる言葉はどれも自分の事しか考えていないものである
「家族のためなら人をも殺すか?」という問いに「Yes」と答える妻や
ノアの行動を理解しようとしない家族の姿は、当たり前といえば当たり前なのだけど、
そう考えるとやはり人間は地球にとって害悪なのかとすら感じてしまう

そして、最後に希望に向かって歩んでいこう的なハッピーエンド
なんだけど、その手前で罪もない人が濁流に飲み込まれていくシーンをまざまざと見せ付けられているから、全然手放しで喜べない
イスラム教圏では上映禁止やキリスト教徒からも反発の声があがるレベルの改編らしいんだけど、
現代的な視点を使い、聖書もしくはキリスト教の狂気を浮かび上がらせた作品ともいえる

まあ、そう思えば価値のある作品かもしれないけど、正直映画を見ての最初の感想は、「退屈」の二文字だった…


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