2011年7月5日火曜日

The Wrestler:レスラー




それでも漢がリングに経ち続ける意味は…




全てを悟り、自らの行き場所いや、死に場所を見つけた男の傷だらけの後姿
これは別にプロレス映画という括りではなくてもいい気がする
自らの命を捧げても良いと思えくらいに熱中した何かがあった者は必ず共感できるはず

ミッキー・ロークという男の実人生が重なりすぎている物語の中で、
もはや演技なのかすらもわからないくらいの迫真の演技が観客の心に突き刺さる!
ニコラス・ケイジにしなくて良かったと思うよ…
別にニコラス・ケイジが悪いわけじゃないんだけどね

この映画のラストは本気でエンターテインメントを追いかけた事のある者には涙が止まらない
どんなに貧乏だろうが、売れていなかろうが、そこに立ち続ける理由がここにある
そうやって立ち続けることこそが、その人生の価値を決めるのだ
そうなんだよ!こういう男に俺は憧れたはずだったんだ

「身を捧げる」という意味でプロレスっていうのは非常に分かりやすい題材な気がする
なぜなら、プロレスとは受けの美学であり、何があっても技を受け切らなくてはならない
それがどんなに危険だったり、それがどんなに辛かろうが、一度技をかけた技は最後まで受けきる
勝ち負けだけで一色単に出来ない、スポーツとは対極にある強さがそこにはある

では、誰の為にあんなに技を受けるのだろうか?
何の為にそのボロボロの身体を危険をさらす必要があるのだろうか?

それはファンがそこにいるからこそであり、そして、そこに彼がいるからこそファンが集まる
それこそがレスラーという者の運命なのだ!
だからこそ、俺たちは誠意を持ってチャントもブーイングも送り続けるのだ!

コーナーの最上段から声援の中へ
彼にとって死ぬ事とは忘れられる事であり、
 ファンからのチャントが彼の生きる証なのだと知る

この物語を逃げだと捉える人もいるだろう、
現実に折り合いをつけなくてはいけないと考える人もいるだろう
しかし、音楽や演劇など夢の世界を目指した者なら分かるはず、
むしろ現実に折り合いをつける事こそ逃げなのだと

何だって夢に向かって生きる事は、普通に生きる事よりも何倍も辛い
だからこそ、自分は地元の仲間を尊敬し、自らを恥じている
ラストに花道を歩くランディの姿に涙が止まらないのは、
ランディとミッキー・ロークと、そして自分の人生すらも重ねて観てしまうからなのかも知れない…

0 件のコメント:

コメントを投稿