2013年12月20日金曜日

日本のデザインミュージアム実現にむけて展


"" 美術やデザイン行政の無策ぶりに企業が文化事業から後退し、
そして明日に希望を持てない若者たちの姿に端的に表れている。
創造のエネルギーは国を活気付け、豊かにする。
世界の主要都市にデザインミュージアムは存在するが、世界に誇るデザインの宝庫日本にそれがない。
先人たちが遺した素晴らしいデザインを保存・紹介し未来に向けて同時代の動向も示すデザインミュージアムをつくろう。 ""

10年前に三宅一生が朝日新聞に寄稿した記事から始まる企画展
その第一歩として、2007年に開館した21_21 Design sightにてこれまで行われてきた23もの企画展を通じて、
「日本のデザインミュージアム」について見つめ直すというもの

本企画展は4つの軸にて構成される

・個の創造力の拡張と深化を示す〈デザイン/アート/スピリット〉
・身近な題材から社会に目を向ける〈モノ/コト/仕組み〉
・デザインを駆動させる〈素材/技術/革新〉
・地域を世界につなぐ〈東北/祈り/ユーモア〉

なんというか、今まで見てきた現代美術よりもさらにコンセプチュアル過ぎて、

説明を読んでも全く理解出来ないものも多くて、結局どういう事なのかが理解出来ず、
相変わらず自分の感受性の感度の悪さには落胆する
そもそも「デザイン」とは何なのか?って事がイマイチ理解出来ていない時点で着いて行けてない訳だが…

それでも、色々な企画展の内容や作品の一端を見て行く中で、

自分はよりシンプルで明確なコンセプトを持った作品に惹かれるのだなと思った
特に「骨」展にて展示された『弓曵き小早舟』というからくり人形が心惹かれた
何かを作り出す上で必要な骨組み、そのシンプルさと綿密さはデザインとして捉えても美しい
また、その美しい骨組みこそが美しいものを生み出すのだなと思った

そして、その骨組みの美しさというものは、モノだけではなく全てに言えるのだと思う

だってそうでしょう?あの醜いまま施行されてしまうあの法案の骨組みは美しかったのか?という話

一番最初のあの法案の作る意義の時点で良かったのに、霞が関の利権やら何やらの手垢がついて、
最終的にはちぐはぐな骨組みとなってしまった、果たしてそれが美しいのかどうか?


そんな事すらも考えてしまうという事は、きっとこの作品展が自分の脳味噌をどこかを鋭く刺激していたのだと実感する

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