2013年2月8日金曜日

Documentary Of AKB45 No Flower Without Rain 少女たちは涙の後に何を見る?




AKBの背後に隠れる大人たちよ!
お前たちも傷つきながら夢を見ろ!




なんかもう映画論ってかAKB論みたいになっているのはご愛嬌
この映画を語る事はすなわちAKB48を語るようなものなのでご勘弁を

アイドル映画という枠を飛び越え、ドキュメンタリー映画としても秀逸過ぎる仕上がりを見せ、
総選挙という極限状態でのありのままの姿、西武ドームでの壮絶すぎる舞台裏など、
傷だらけになりながら、それでも前に進み続けるAKB48の姿に心を打たれながらも、
ボロボロになればなるほど面白くなってしまう残酷ショーにのっかってしまう恐ろしさを知った
前作「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on少女たちは傷つきながら、夢を見る」

自らがボロボロになる事を宿命付けられた【AKB48という存在】に普通の少女が自ら飛び込んでいく覚悟と
分かってはいたものの想像以上に傷だらけになりながらも【AKB48という存在】であり続ける意地
それをふまえて、多種多様のキャラクターの少女たちがファンのために身を粉にしてステージに立つ姿に心を打たれた

それに対し、今作はAKB45というよりは【アイドルという存在】について言及しているように思えた
どんなに過酷であってもセンターと言うポディションを目指して努力し続ける
けれどもその努力は必ずしも報われるものとは限らない
それを知りつつ、アイドルという存在であるため傷つく事を恐れずに走り続けている

また、恋愛スキャンダル問題に対し、握手会という場でファンの目の前で断罪されまさに公開処刑される姿が映し出される
メンバーはおろか観客ですら見るているのが辛い光景である
そして、その光景を見つめていたのが何を隠そうその後に同じことを引き起こすメンバーという皮肉!
その公開処刑を見ている彼女らがそれぞれとった行動が、軽い伏線になっているところがさらにすごい

またスキャンダルが発覚した瞬間からカメラを回し続け、少女たちがどのように選択し、
どういった覚悟で公開処刑の場に望んでいるのかを写すのだが、
それを観ているとこういった彼女たちの行動は自発的なもののように見えるが、
全て秋元康をはじめとする大人たちが、処女たちをそのように追い詰めているだけな気がする
そもそも、アイドルとファンの境界線を曖昧にさせ、お金の対価として擬似恋愛を提供する図式を作った事が
AKBの恋愛スキャンダル問題の根源であり、その責任をとらない大人たちの汚さが浮き彫りになった
―その結果、20歳の女の子が髪を剃り落とすというショッキングな展開を見せるのだ

それが隠しようがなくなってしまった時点で正直、興ざめしてしまう
スキャンダルに負けずにがんばる姿をいくら見せられても、前作のように胸を打たれることはもくなってしまった
正直、支配人が裏で泣いている姿ですら、もはやあざとい演出のようにしか見えない

ただ、脱退した少女たちの姿が、生き生きしていたことは唯一の救いのように思えた
センターに立つというチキンレースから降りたことで、逆に生き生きしている姿もまた皮肉
シネマハスラーでアイドルの勝敗を敗者を視点から見つめていると言っているが、
確かに分からなくはないけれど、それならば海外にとばされたメンバーや選抜外のメンバーの奮闘まで入れて欲しかった

まっさらな状態でこの作品を見ることが出来れば、前作同様に評価できたのかも知れない
もしくは、こういうスキャンダル問題を前作同様スポ魂のように描けば、個人的には最高だったのかもしれない
ただし、あくまで本作は上記のような欺瞞に満ちた結論であり、その踏み込んでない感じが、
ただのAKB45の活動報告という枠からはみ出し切れていない原因だと思った

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