2013年5月11日土曜日

Melancholia:メランコリア




こんな世界、なくなっちゃえばいいのに!




こんなクソったれな世界なんてぶっ壊したい!
そんな厨二病な破滅願望をラース・フォン・トリアーという才能が
自身の精神状態そのままに一つの映画を作り上げる

まるで絵画のような壮大で美しい映像と
非常に狭い世界感で描かれるこの世界の終焉の日
その病んだ状況を目の当たりにした病んだ姉妹の病んでいる二部構成の物語

この作品がどれくらい病んでいるかというと、
ラース・フォン・トリアーが鬱病のセラピーの最中に着想を得たって事で、
メランコリア(憂鬱)がこの世界をぶっ壊すというド直球な病みっぷり!

ワーグナーが流れる中、まるで絵画やポートレートのようなスーパースローで描かれる圧巻のオープニングは、なんとその時間8分間!
ただし、そのオープニングの凄まじさでがっつりと心をつかまれたまま、物語が始まる

まず、精神の病んだ妹が主人公の第一部で描かれるのは観ていて苦痛なまでの嫌らしさ!
まったく理解出来ない花嫁の行動と彼女を取り巻く狂った家族の姿
かつて、これほどまでに祝福できない披露宴があっただろうか?

そんな宴が終わる頃には仕事も友情も新郎すらも失ってしまう心神喪失な新婦を
自身も鬱病経験のあるキルスティン・ダンストが圧巻のボディと演技力で演じている
破滅にしか進んでいかない物語の先の見えなさに心が折れかけるところで、第二部へ進んでいく

第二部では金持ちと結婚し幸せに暮らしていた姉が主人公となり、メランコリアの存在が明らかになる
ここでやっと、一部での奇抜で自暴自棄な行動の意味が明らかになり、
世界の終わりが近づくにつれて、次第に正常であったはずの姉たちの精神が蝕まれていく

面白いのは一部と二部でその構造がまったく逆になっていること
これは常に絶望の淵で生きている鬱病の人は、本当の絶望を前にしても動じないのに対し、
普通の人と言うのはその絶望に打ちひしがれてしまうという監督の考えのもと

それでも、世界の終わりを知っていきなり自殺したり、卑屈になるだけで何もしなかったり、
監督の考える正常な人々の行動はあまりに無能で生きるためにもがく姿は一つもない
正常であるはずの僕らがその行動に対してあまり共感できないのは、
あくまで鬱病側からの視点でしか描かれておらず、それはとてもとても小さい世界観だからである

しかしながら、ラストカットで描かれる受け入れがたい何かを目の当たりした人々の三者三様のリアクションなど、
こんなものすごいテーマをユニークな視点と負のエネルギーだけで描き切った潔さ!
そして、なぜか圧倒されてしまうくらいのその才能とネガティブパワーがものすごい!

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