2013年4月7日日曜日

The Master:ザ・マスター




彼にとって "マスター" とは誰だったのかー?




戦争は、ある男の人生を全て奪い去って行った
唯一、危険なアルコールの味だけが強烈に残っていた
何かに飲み込まれてしまったかのように暗闇を千鳥足で歩いていく

突然、彼に差した一筋の光
その先に一人の男が立っていた
その光が何なのか彼には分からなかったが、男は自分の事を無条件に受け入れてくれた
それがドッドだった、この男なら信頼できると思った

方や、暗闇を眺めていると禁断の果実を持った男が暗闇から現れた
暗闇に取り憑かれ、空虚の中を生きているその男はどこか不思議な魅力にあふれていた
それがフレディだった、自分はこの男を教化する事が己の使命なのだと悟った

そんな奇妙な縁で結ばれた二人、自らの教えを説き、もう一方はその教えを知ろうとする
だがしかし、知れば知ろうとするほどに、フレディの酔いはどんどんと醒めていく
明瞭になった視界には、ドッドは嘘や欺瞞で作られたハリボテにしか写らなかった

人は何かの使命を持っていて、それを成し遂げるために生きている
故に、自分がこの世界に存在している事は意味がある
自分の存在意義についてどう考えるかによって、この物語の理解度は変わってくるのかも知れない
その点に置いて、日本人の感覚と西洋の感覚に開きがある分、この物語を理解しずらいのかもしれない

人にはマスターが必要なのだと頑なに信じた男
それは自らがマスターになる事で、社会に自らの存在価値を認めさせようとした男
新興宗教の教祖というアウトローへと成り上がった彼のマスターは神でなく妻だった

マスターなど必要がなかった男
戦争で神などいない事を知り、マスターとは自分自身である事を知ってしまった
彼は何かに縛られる事なく生きるため、自らアウトローへと成り下がった

そんな対象的な二人のアウトローたちの生き様は、
数奇な運命を通じて近づいていくのだが、決して交わる事はないのだ

とりあえず、ホアキン・フェニックスとフィリップ・シーモア・ホフマンの二人による、
狂気とも言える演技のアンサンブルの前になす術無く打ちのめされる
この二人の演技とポール・トーマス・アンダーソンの才能が織りなす世界に圧倒される
口で説明せずともこの作品のメッセージは画面から伝わってくる

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